―――目覚めた時、最初に見たのは泣いている、男の子の顔だった。
悲しみと安堵、そして後悔と決意が滲んだ様な安定しない表情。
……その顔は"私"の事を心の底から労わるような優しい顔。
何が悲しいのかは判らない、何を後悔しているのかは解らない。
でも彼の涙が伝う顔は、そんな事がどうでもよくなるように愛しかった。

「……あ、ぅ」

そんな彼に手を触れたくて、私は手を伸ばす。
ちゃんとした理由なんて多分無い、ただ彼の泣く姿を見ていたくなかった。
だからその涙を拭いたくて動かない身体を必死に動かしてみる。
感覚が麻痺しているのか、伸ばした手は力無く震え中々彼に触れる事は出来ない。

「―――真琴っ!?」

彼は驚いたような顔で伸ばした手を両手で握り締めてくれた。
暖かい、安心する温もりが伝わってくる。
でも流れる涙は止められなくて、嬉しかったけどそれが悲しかった。
そしてまた段々とまた眠くなってきて、目蓋が勝手に落ちて来る。
起きたばっかりなのに残念だなと思いながら、私は目を閉じた。

「……、…………」

意識が眠りに落ちる刹那、もう一度彼の声が聞こえた気がした。
何て言ったのかは解らなかったけど、多分、優しい言葉。
―――今度目覚めた時、何を言っていたのか聞いてみようと思った。

 

魔法少女リリカノンなのは
外伝
「幸せの方程式」

 

他世界での任務を終えて、久しぶりに俺はミッドチルダに帰ってきた。
今回は味方や一般人にもそれほど被害は出なかった為に任務後の心配事は少なく済んだ。
武装隊の隊長として赴任してから半年、最近ではようやく部下に対する配慮も身についてきたように思える。
昔は好んで単機で敵中突入していた俺が隊長になってからは後方に下がる事も増えた。
それに伴い俺に代わり部下達が指示通りに動き前線で無茶をする機会が多くなり、今までで何人も怪我をさせてしまっている。
無能な指揮官は最悪だ、前線で戦っていた時に俺が感じていた批判が今は我が身に降り掛かっていた。
連日徹夜覚悟で勉強した戦術に対する知識が少しは活かされてきたのかもしれない。
自分の能力だけに頼った隊長なんて噂されないように、今後も更に部隊との連携力を高めていかなくてはいけないだろう。
……また部下達に鬼隊長なんて云われるんだろうな、何時の世も管理する側の人間は象徴となる。
俺が嫌われる事で部隊が安全に任務を遂行出来るのならば易いもんだ。
本当は今すぐにでも部隊に戻り訓練を始めたい所だけど、今の俺には別にも大事な用があった。

「さて、隊舎に戻る前に……様子を見ておかないとな」

ミッドチルダ地上本部から少しだけ離れた場所に小さな療養所がある。
距離は遠いが自動車は持ってないので俺は徒歩でその療養所に向かう。
その際、念の為にデバイスは待機モードのカード型に変化させて持って行く。
武装隊は激務が多く休みが少ない、その為に急な出動に備え何時如何なる時も準備だけは怠らないようにしていた。
暫くして療養所に到着し受付に向かい、そこで教えてもらった場所に訪れる。
部屋番号202、そう書かれたプレートの部屋に俺はノックも無しに扉を開いた。

「おっ邪魔しまーす」
「…………っ!?」

遠慮も無く扉を開いたせいか中に居た人影は驚いたように声を上げると備え付きの簡易ベット側に隠れるように逃亡する。
そして無理矢理に毛布を被ったせいで近くの机の上に置いてあった花瓶を床に落としながらも必死に壁の隅に向かった。
そんな姿を見て俺は軽く苦笑しながらお土産にと持ってきた饅頭を何も無くなった机の上に置いて落ちた花瓶を拾う。
水を必要としない花を選んだお蔭で床が濡れなかった事は幸運だった、そう思いながら花瓶と紫色の花を片付ける。
……そしてようやく壁の隅っこで震えながら毛布に包まっている物体に話しかけた。

「まだ知らない人にはそんなに脅えてるのか、真琴」
「……っ、ます…たー?」

俺の声に反応するように一瞬毛布が揺れ、その後確かめるようにか細い声が聞こえた。
そのままゆっくりと毛布から顔だけを出し、不安げな表情で……真琴はこちらを確認した。
俺はそれに応えるように片手をあげるとようやく不安げな顔は安堵へと変わる。
しかし今度は安心しすぎたのかその瞳からはゆっくりと涙が零れ始めた。

「……あぅ、ますたぁ」
「こんな事ぐらいで泣くなって、仕方ない奴だなぁ」
「あぅぅ、ますたぁますたぁますたぁ」

繰り返し呟きながらとてとてと泣きながらこちらに素足で頼り無く歩いてくる真琴。
ピンク色のパジャマ姿な所を見ると、また着替えを手伝ってくれる担当者から逃げたのだろう。
……真琴はそのまま力無く俺のズボンに縋るように抱きついて来た。
あまり甘やかしすぎるのも好くないと思うが、仕方なく俺は真琴の柔らかい髪を梳くように撫でる。
最初は擽ったさからか若干抵抗する素振りを見せたがすぐに大人しく身を任せるようになる。
そしてその分抱きつく力を強めて俺が離れないように想いを不器用に伝えて来た。
これはまた帰る時に暫く泣かれるな、そう思いながら俺はため息をつく。
俺の腰ぐらいまでしか身長が無いこの子供の名前は沢渡真琴、一応俺の使い魔だ。
一応を付けた理由としては、俺は真琴を普通の使い魔として使役する気が無いからだった。
本来使い魔とは主人の要望に応え、その見返りとして半永久的に魔力を供給され生命としての存在を得る。
だが俺は真琴に対し、何の要望もせずにただ生きる事だけを望んでいた。
自分勝手なのは百も承知だが、真琴には自由に出来るだけ長くこの世界で暮らして欲しかった……要望はただそれだけだ。
しかし、使い魔としてはあまりにも過ぎた要求だったようで"元"の性格も相成って人見知りを超えた臆病な性格になってしまっている。

「でもだからって、改めて使い魔として使役するのも違うしな」
「……あぅ?」
「何でもない、ほらっ……饅頭買って来たから一緒に食おう」

饅頭という言葉に真琴は頭から生えた狐の耳をピンと天井に向かって突き立てる。
だが机の上にある饅頭を取るには俺から離れなくてはならない事に気付き、困ったようにこちらを見上げてきた。

「……うぅぅ」
「別に逃げたりしないから、自分で取って来い」
「…………、うんっ」

たっぷり数分悩んでからゆっくりと抱きついていた身体を離すと机に向かい走って行った。
そんな真琴の姿に、微笑ましさと、自分が行なった行為に対しての疑問を浮かべていた。
―――これで本当に善かったんだろうか、もう何度繰り返したか分からない自答をする。
今ここに居る真琴はこうして生きて存在している、だが彼女は本当に幸せなのだろうか。
存在している事に対しての否定はしたくないし、今を生きている真琴を不安にさせたくもない。
だけど、今現在……そしてこれから真琴が本当に幸せを見つけられるのか確証が無い。
一度恥知らずにも真琴に直接聞いてみたが、真琴としては俺が傍に居ればそれでいいと言っていた。
自由を持って生まれた筈の真琴が、それだけしか望まないなんて悲しいと思う。
何でも出来る、何にもでなれる可能性を持つ彼女が、それでは浮かばれない。

「そういえば天野に言われたっけか、あなたは間違っています……って」

真琴を使い魔にして数日後、俺は地球で知り合った天野美汐という友人に近況を伝えた。
彼女は真琴を使い魔にする事を反対する訳でも無く、また賛成する事もせずにただ頷いた。
だが行為そのものを否定しなかった彼女が俺が思った事に対しては烈火の如く怒っていた。
……そして普段大人しい彼女が感情を隠さずこう言ったのだ。

『そんな考え方をしている相沢さんは横暴です、あなたは間違っています』

正直に言えば、彼女の言っている事が全て理解出来たわけではない。
だけど自分が何か考え違いをしている事だけは解った、今はその意味を探している。
あの天野がそこまで言ったんだ、恐らく俺の思考には何処か欠落したものがあるのだろう。
そんな考えに没頭していた俺のズボンを弱い力で引っ張った真琴が何かを差し出してきた。
……白くて丸いお菓子、俺が買ってきた饅頭だった。

「悪いな、あんがとさん」

俺はそれを受け取ると真琴に礼を言って頬張る、すると真琴も真似をするように小さな口を精一杯開き無理矢理頬張った。
使い魔を世話する事は、子供世話する親と同じぐらい大変だと聞いた事がある。
ある程度の知識や能力は最初から備わっているものの、真琴の精神や感情などは子供と変わらない。
これをちゃんと育てあげる事が真琴の主人としての俺の義務であり、責任だ。

「お前はあんまり一度に多く口に含まなくていい、女の子なんだから上品にな」
「…………んっ、んん」

こくこくと頷きながらリスのように頬を膨らませる真琴、願わくば良い子に育ってくれると嬉しいと心の中で祈っておく。
……まだ子供が居るような歳でも無いんだが、いや早い人ならもう生まれても可笑しくない歳か。
饅頭の粉が口の周りについてしまった真琴の顔を拭きながらそんな事を考えていると、不意に振動が伝わってきた。
どうやら携帯している受信機かららしい、俺は受信機のスイッチを押すと目の前に幾つかの情報と見知った顔が表示される。

『相沢、ちょいと問題発生だ!』
「北川……任務時は一応隊長をつけろって」

北川潤空曹、我が隊の安定した任務遂行を援護するセンターガードの万能屋。
魔力量自体はそれほど秀でては居ないが手数の多さなら部隊内でもトップクラスだ。
俺も最近では中衛に下がる事が多くなってきたが、北川の状況判断速度には未だ追いつかない。
そこが最近の悩みの種である指揮官としての資質の差といった所だろうか。
北川本人は指揮官の柄じゃないと一蹴していたが、本来なら間違い無く指揮官向きだろう。

『そんな事言ってる場合じゃねぇ、地上本部近くの建物で魔導師絡みの事件だ』
「……分かったすぐ行く、だが本部の近くなら即応部隊が居るだろ」
『今回は相手が悪い、お前確か今日は報告に行ってるよな……頼めるか?』

北川は確認するように言うが、二人とも返事は判っている。
事件が起きてすぐに現場に駆けつけられないようでは我が隊の隊員とはいえないだろう。

「了解、まあお前達が到着する前に片付けておく」
『任せた、許可は取ってある―――俺達もすぐ向かう』

そう言いながら北川は周囲に居る隊員に手だけで的確な指示を休み無く伝えている。
今日は事務仕事に専念すると言っていたお蔭でここまで隊の対応が迅速に行なわれる事になったのは幸運だった。
正直に言えば雑務を殆ど北川ともう一人の隊員が率先して引き受けてくれるから何時も俺は迷う事が無い。
問題無く一直線に現場に向かえる、これは本当に彼らのお蔭だと感謝するしかない。

「あぁ、事後処理は任せる」
『相沢、判ってると思うが……精々"Aランク程度"の力まで抑えておけよ?』
「心配するな、そこ等辺の調整はデバイスに任せるさ」

俺は待機モードだったデバイスを起動させ自分の魔力量を制限させる。
これで自分では細かい操作は出来なくとも、機械が精確に上限を定めてくれるだろう。
持て余し気味の魔力もこうすれば俺だって力任せだけじゃない戦い方も出来る。

『頼む、地上本部のお偉い方は面子が大事みたいだからな』

北川は苦笑いしながらおどけた様に軽く目を瞑りわざとらしく深いため息をついた。
しかしすぐに一転して表情を正すと念を押すように人差し指を画面に近づけながら忠告する。

『お前が全力で戦えば損害が大きすぎる、ただでさえ俺達の隊は火の車だぞ』
「はっはっは、天才はこれだから困るな」

もしかしてこいつは先日の任務を根に持っているんだろうか。
いやしかしあれは仕方なかったんだ、逃亡する犯罪者を逃がす訳にはいかないと思って撃った範囲の広い集束砲。
少しだけ加減を間違えて……近くにあった建物と一緒に犯罪者を吹き飛ばしてしまった。
幸いにも人間は軽傷で済んだものの建物が過剰な魔力によって倒壊してしまうという事件があった。
管理局からは御咎めを受けるわボーナスカットで隊員からは恨まれるわ、本当に散々だったな。

『それにお前一人のせいで総合ランクが高騰してるんだ、その分の働きはしてもらう』
「あいよ、任せておけ」

俺は適当に返事をして重要な情報だけを選別しながら通信を切った。
これ以上長く話していると何時ものお説教が始まってしまう、悪いがそんな時間は無い。

「ますたー?」

真琴が上着を引っ張りながら不安そうに見上げてくる。
だが今回は頭を撫でて誤魔化す事は出来ない、俺は真琴の目線に合わせるように膝を折った。
そして真正面から真琴の顔を眺めながら真剣な表情で詫びる。

「悪いな、真琴……仕事だ」
「…………うん」

抵抗せずに俺から一歩離れる真琴、普段はもう少しだけ我が儘だが……仕事には逆らえない。
俺がどれだけ仕事を大事にしているか、それが判ってしまっているんだろう。
本当に駄目な父親だなと思いながらも気丈にも笑顔で見送ってくれようとしている真琴にこちらも笑顔を向けた。

「良い子だ、またすぐ来るようにするからな」
「……うんっ、待ってる」
「おう、そん時はまた何かお土産持ってくる!」

言い残して病室のドアへと駆け出す、その途中一度だけ真琴を振り返った。
……そこには遠慮がちにこちらに向かって手を振る小さな子供の姿が目に映る。
これでまた真琴が言う幸せを一つ奪ってしまったのではないかと後悔するが、強引に思考を切り替えた。
今からは武装隊の隊長として、管理局の局員として一刻も早く被害の拡大を防ぐ事が先決だ。
そして俺は診療所を出ると、魔力を全身に巡らせながら現場へと向かう。
―――ミッドの風を切って身体は空へと駆け上がっていった。

 

 

 


後日、相沢さんから一通の電子メールが届きました。
そこには現在の近況と、これからの事が写真付きで書かれています。
療養所で恥ずかしがる真琴を抱きかかえながらこちらにピースして笑う相沢さんの写真。
そして二枚目は、相沢さんにピッタリ寄り添いながらも外でピクニックを笑顔で楽しんでいる真琴の姿。
文章では相沢さんは真琴に色々な経験をさせて、それから今後の事を真琴自身に委ねると書かれていました。

「つまり、真琴の幸せを一緒に探す事にした……ですか」

私は呆れたような、少し嬉しいような微妙な感情でため息をつきます。
肝心な事が解っているようで全然解ってないとも言えますね、相沢さんは。
確かに真琴にとって良い結果を齎すでしょうが一番重要な気持ちを全然理解してません。
何時しかその矛盾が、あの子にとって悪い結果にならないといいのですが。

「……過去に真琴が何故、全てを捨ててまであなたに会いに行ったのか」

自らが消滅してしまうような対価で何をしたかったのか。
力無き狐であった彼女が、何故人間の姿であなたの所に向かったのか。

「そして、やはり今回も真琴が望んだ事はたった一つだけなんですよ」

それは多分、単純なようで難しいあの子の気持ち。
『―――春が来て、ずっと春だったらいいのに』
そんな変わらない想い、求めるものはただそれだけの事。
それでもあの子は、最後までちゃんと幸せだったと胸を張って言えるでしょう。
……そしてこれからもきっと。

「やっぱり、相沢さんの考えは横暴です」

一途に、直向きに願う真琴に対して鈍感は最早罪に値します。
優しいだけの男では、本当に大切に想ってくれる相手を幸せには出来ないでしょう。
まあ、そんな優しい相沢さんだからこそ真琴は懐いたのでしょうけど。

「幸せなんて他人が決める事じゃない、真琴はちゃんと最初から……自分の幸せに向かって歩いているだけなんですから」

分かっていますか、相沢さん。
あなたのような人の事を私達はこう呼ぶようにしているんです。
そう、単純明快に―――恋する乙女の敵、と。

 

 

 


あとがき
若かりし頃の祐一君と真琴ちゃんのお話だそうですよ。
ん?今と全然違くね?
真琴はこの時ちびっこいです、略してちび真琴。
子供を育てるっていうのは見るのとやるのでは大違いなんです。
多分こういう経験をしてるから本編の祐一君は色々成長したような感じなんでしょうね。
ふーん、知らなかっt(ry
最初からプロットではあるんですが実際に書いてみると自分でも驚く事があるって不思議です。
祐一への呼び方を変えたのは趣味です、はてさて何時頃呼び捨てに変わったんでしょうね。
過去の物語だからか色々「あれ?」って思うところもあるかと思いますがここではスルーで。

 


■ミニ劇場(1)■

ミニ劇場では寄せられた質問や疑問などについて触れていくQ&Aコーナーです。
疑問「真琴は身体を自由自在に変化させる事は出来るの?(通称ミニ化)」

真琴「当ったり前でしょ、真琴は使い魔の中でもかなり凄いんだからっ!」
祐一「ちなみに自分では変化出来ない使い魔も居るらしいぞ、存在が固定してしまっている奴とかな」
真琴「この頃の真琴は……大きくなれないのよね?」
祐一「あぁ、生まれてからそんなに経って無いからな、無理をすれば存在が消滅する危険すらある」
真琴「……あぅ」
祐一「それとこれは蛇足だけどな、使い魔と違って難易度が高いが俺だって一応出来るぞ」
真琴「ミニ祐一になれるって事ねっ、すっごい生意気そうだから小さくなったら真琴がいじめてやるんだから!」
祐一「小さくなってもお前よりは強いぞ……多分だけど」