「……モンスの兵隊」
名雪は呟くように倉田佐祐理から受け取った情報を反芻する。
モンスの兵隊とは昔の御伽話の一つで、正体不明の不思議な兵隊の事だ。
ある時は羽を生やした天使のような姿で、ある時は槍を構えた妖精のような姿で。
勝手に闘争に介入してくる、迷惑ながらも強力な力を持ち合わせた部隊である。
何でも義を重んじるらしく、正道を貫こうとしてしかし力が足りない者達の味方をすると言われている。
その姿から妖精兵やら天使兵やらと様々な仮説が立てられたが実際に見た者などは居ない。
昔話なのだ、恐らく娯楽に富んだように優しい物語の登場人物なのだろう。
しかし、倉田佐祐理から聞いたモンスの兵隊の話は違った。
カノンで起きているモンスの兵隊は、生易しいものじゃない。
名前だけを語ったまったくの別モノだという。
「まさか子供達を使って……実験なんて……」
モンスの兵隊の材料は、ある程度予想していた通りのものだった。
確かにこの世界では子供は貴重なものであり、意思を託せるものだ。
魔法の継承だってそうだし、剣技の継承だって行う。
親は子に託し、子はまた生まれゆく子へと永遠に受け継がれていく。
その血が途絶えるまで……意思が枯れないまで……。
だがそれは子供の意思があっての事だ。
親だけの一方的な意思で決めてはいけない、水瀬名雪はそう思っている。
だってそれは強制だ、子供の意思に反して伝えられるものが次の世代に上手く伝わるかも疑問だ。
劣化を許せない訳じゃない、劣化する事を望まない癖に強制する事をやめない親の意思が許せなかった。
「許せない……よ」
それは絶対に許せない。
モンスの兵隊が子供の意思を反し作られているものなら尚更だ。
何が正しいのかはわからないが、何が許せないかはわかっているつもりだ。
名雪は深呼吸をすると目指すものへと向かって行く決意を固める。
手にするのは巨大な杖、佐祐理と戦った時に使った杖だ。
その杖を持ち直し、名雪は雪の道を歩いていく。
何故自分にこの任務が来たのかようやくわかった。
こんなもの、元々事件でもなんでもなかったのだ。
ただ、この行為を許せない人が居た。
その陳情を受けて……私に依頼が降りてきただけの事だ。
「私の役割は……まさに"ソレ"だね」
皮肉な事だ、この現象を嫌っていながら今自分も同じ現象になろうしとしている。
あちらが物語の天使を語るのなら、こちらは物語の妖精を語ってしまえばいい。
正体不明の第三勢力、今の水瀬名雪はまさしくその立ち位置に居る。
「モンスの兵隊を打倒するのは、何て事は無い……モンスの兵以外に有り得ない」
「決意の日」
「目覚めなさい、ズィーベン」
そんな声を聞いて、一人の子供が目を覚ます。
瞳は虚ろで起きている筈なのに生気が感じられない空洞の目。
だが声には反応している、ゆったりとして動作で顔をあげた。
すると其処には白衣を着た男が一人、眼鏡をかけて髪はボサボサ……不精髭が雑に生えていた。
男は起きた子供の頭を軽く撫でる。
「七番目の子、創造を司る者……それが君だ」
男はよくわからない事を言う。
子供は生気の無い目でジッと男の顔を見つめたまま沈黙している。
……言葉が話せないのではない、言葉が思いつかないのだ。
そんな様子を見て男は哀れそうに微笑む。
「過ぎたものを与えられた君は、もう人間としての機能を捨てて生きなくてはいけないのだよ」
「………」
「話す事も、泣く事も、笑う事も出来ない……ただ存在するだけなんだ」
わからない、男の言葉が何一つとしてわからない。
しかし……沸き立つものがある事は先程から感じている。
まるで体の中から突き破ってきそうな巨大な力。
気を抜けば今にも破裂しそうな化け物が神経を張っているような感覚。
背筋が凍り、一歩も動きたく無い。
何が変わったのかは知らないが、何かが棲んでしまった事は確からしい。
だが子供はそんな事を理解しながらも、思考出来ない。
思考する隙すら、残っていないが如く。
「アインスもそうだが君も満足に動けないのだろうね、否定と創造はそれだけのものだという事か」
興味深そうに男は観察する。
しかしそんな事には興味がなく、子供はただ男を見つめていた。
いや、もしかしたら見つめてはいないのかもしれない。
ただ声がした方向に視線を移しているだけ、焦点が合っていない瞳はそう語りかけているようだった。
「アインス、ツヴァイ、ドライ、フィア、フュンフ、ゼクス、そして……ズィーベン」
男は数を数えるように名前を続けて話す。
彼らにとって子供達は正しく数の大群、人間ではない名前だ。
ズィーベン、七と名付けられた子供は認識する。
自分の名前と、そして自分の力の名前を。
……理解した処で、何の解決にも結び付かない事を知らないまま。
倉田佐祐理は、一人になって考えていた。
戦闘が終わった直後、胸に飛来した事を……思い出しながら。
水瀬名雪は言った、許せないと。
熱い想いだ、他人とは言え子供が傷つけられて水瀬名雪は心底怒っていた。
カノンの子供は自らの子と同一、まるでそう思考しているかのように。
まだ佐祐理には理解できない、それがどんな意味を持つのかを。
だが一歩は踏み出せたのかもしれない、佐祐理はそう納得する。
「あはは、さてっと……どうしましょう?」
自分は貴族としてはやってはいけない事をした。
踏み出すという事は、停滞ではない。
動き出す事を同意だ。
だからいつまでも同じ場所にいられる筈もなく、佐祐理に事実として圧し掛かってきた。
貴族は古い誓いを重視するものだ、貴族の間で決められた事もそれに含まれる。
水瀬名雪に流した情報は、決して他人には聞かれてはいけない事だった。
貴族である佐祐理がその誓いを破った事は……古い考えでは万死に値する行為だ。
「とは言っても、最早関係ないですけどね」
佐祐理は笑みを零す。
倉田家は今や長男が存在している為にそれほど家の問題は大きくない。
元々は倉田佐祐理が家を継ぐ事になっていたが、今回の事でそれは難しい。
だから、その役目は本来通り長男に受け継がれていく事だろう。
……また恨まれるだろうか、佐祐理は笑みを浮かべながらそんな事を思った。
何時自体が発覚するか、それはわからない。
だけど何時かは発覚してしまうだろう、その時家に迷惑をかける事は極力したくない。
ならば……する事は自ずと決まっている。
「侯爵の娘も、貴族の娘も、これで終わりですね」
後悔がないと言えば嘘になる。
だけど自分の決意を嘘というわけにはいかない。
それを否定してしまえば、もう自分は自分ではなくなってしまうのだから。
「でもそうなると……う〜ん」
佐祐理は困ったように人差し指で下唇を軽く押し上げる。
決意したはいいが、それ以降が思いつかない。
相談できそうな相手は、今ここには居ないのだ。
どうすればいいのか……考え付く答えは一応ある事にはある。
それを許可してもらえるかどうかはわからないが、難しい事ではないと思う。
「まあまずはそれより情報操作ですかね」
まだ事態が明るみに出る訳にはいかない。
何時か必ず分かってしまう事だが、遅らせる事は可能だ。
用意が出来るまで、佐祐理は最大限努力を続けることを誓う。
策士としては得意分野だった。
「忙しくなりそうですね〜」
そう言った彼女の顔は、何処か晴れ渡っていた。
カノン王国、特別訓練場。
この訓練場は城の地下にあり、人目を忍ぶものが訓練に明け暮れる場所であり普通の人間は使えない。
貴族や王族などが訓練する時は大抵ここが使われる。
その部屋は何も無く、ただの石に囲まれた広い牢のような印象を受ける。
だがここに使われている対魔法や対物理結界は特殊なものであり、普通の事では壊れない。
そんな場所で、一人の女性は手にした剣を振るっていた。
細身の剣、エストックと呼ばれる剣を使いまるで針のように突き刺す動作や絡みつく様な薙ぎを繰り返している。
随分長いこと訓練しているのか女性の体中から汗が流れおちており、地面には小さな水たまりが出来るほどだった。
風を切る音が断続的に続く。
菱形の剣身の断面が空気を斬り裂き、流れおちる汗さえも分断した。
この剣は軽量で、打ち合う事には向いてないが細かい剣技を扱うには向いている。
元来鎧の隙間を縫うように斬りつける為の剣であるが故に、その動きは素早い。
筋力があまりない女性でも、速度と角度によっては一撃で人間を殺傷出来るほどの力を持つ。
「―――ふっ!!」
息を短く吐きながら痺れてきた右腕に力を込めて突くように前へと突き出す。
見る者が見れば驚嘆するほどの速さだろう。
だがそれでも満足していないのか女性はエストックを振り続けている。
こんなものではない、こんなものでは守れない。
思考が剣となって空を裂く。
もう出来る事といえば万事に備え少しでも戦力になれるように訓練するだけだ。
それが女性の思考、それが彼女の思考。
全てを失った事に対して感傷は少ない、だがこれからの事に対しては油断が出来ない。
最早出来る事は少ないが、やらなくてはいけない事は多いのだ。
……女性が唐突に剣を振るう事をやめた。
それと同時に今まで以上の汗が地面へと流れおちる。
しかしそれを気にした様子も無く、女性は顔を扉へと向ける。
「あら、神咲さん……その後の進展はどうですか?」
「秋子様……またこんな無茶を……」
入ってきたポニーテールの女性、神咲小夜は慌てたようにタオルを差し出す。
それを受取って、笑顔で顔を拭くのは……水瀬名雪の母親である水瀬秋子だった。
秋子はエストックを地面に突き刺すとタオルで汗をかいた部分を拭ってゆく。
小夜は重々しくため息をついた。
「これ以上の訓練はお体に障ります、どうか御自重ください」
「大丈夫ですよ、私は私のする事をしているだけですから」
「起源が無くなったのは秋子様のせいではありません、城の防衛は私達騎士団が請け負いますから!」
「それでも、何かの象徴というものは決して絶対でなくてはいけないのですよ」
秋子はそう言うと少し悲しそうに笑った。
何が絶対だというのか、わからないというように。
起源が無くなった秋子は最早絶対などではない、ただの一人の女性だ。
カノンの守護者ではない、ただのカノンの象徴。
まだ民衆は知らないが……世の中は一面だけの世界ではない。
それを纏め上げるのが、次元使いとしての役目だったが……今の自分はただの足手まといでしかない。
ならば訓練を怠るわけにはいかない、小さい力だろうとする事は山ほどあるのだから。
「この国はね、神咲さん―――まだ象徴を欲しているのですよ」
次元使いとしての自分、カノンの守護者としての自分。
カノン王国最強の魔法使いとしての自分。
負けを知らぬカノンの奇跡を請け負った水瀬秋子。
民は求め続けるだろう、偶像としての水瀬秋子の姿を。
人間の五感では感じとれない存在である英雄という名に対する偶像崇拝を、彼らは決して無くしたくはない。
それが痛いほどわかるから、水瀬秋子はこれからも民の為の象徴であり続ける。
人間としての水瀬秋子ではない、記号としての水瀬秋子として。
「しかし、それでは秋子様の意思は何処に行くのですか!?」
「私の意思は国の意思です、私の為に国があるわけではなく……国の為に私があるのですよ」
「そんな……それじゃああまりにも……秋子様が救われない」
「救いを求めるのは私では無く、また救われるべき人間も私では無いのですよ」
水瀬秋子は、笑いながら……自分は死ぬまで救われる事は無いと言いきった。
その姿に、神咲小夜は何を見たのか。
ただ……その在り方が尊くて、その在り方が悲しくて。
一筋の涙として―――気持ちを表した。
救われるべき者が救われない事は嫌だった、それが小夜の信念だった。
救いを求める者がいれば喜んで身を捧げるだろう、だがそれは自らに対しても犠牲心という救いがあるから救うのだ。
だが彼女は違う、彼女のそれはただの生贄だ。
ただ他の者を救うために、自分を投げ出す。
そこに自分の意思は必要ない、他人に背中を押されて崖から突き落とされるような行為だ。
人を救う事で自分も救われるのならば納得できる。
でも……他人を救い自分が犠牲になり、彼女はそれで満足を得る事が出来ない。
おかしいと、行為自体の破滅を知っていて尚何も言わずに笑いながら身を投げ出す。
最後の一線を、自らの意志ではなく他者に強制されて笑いながら堕ちていく。
それが生き方だと、それが現実だと、それが他者の救いだと、怨む事も"知らぬ"まま堕ちていく。
こんなもの忠義ではない、納得できていない癖に笑いながら救いなど必要ないと悟っている矛盾した考え方だ。
しかし、それでも彼女は微笑んでいる。
だから……助ける事なんて自分には出来ない。
救いを求めていないのに、救いを与えることなど出来はしないのだ。
それが彼女の運命ならば、止めることなど無意味だった。
「せめて、せめて……この国を怨むぐらいの事は出来ませんか?」
小夜は最後に間違った質問をした。
答えなどとうにわかりきっているものを、確認するように問いかけてしまった。
そんなもの―――相手が何を言うのかなど、理解しているというのに。
「ごめんなさい、それでも私は……この国が好きなのです」
だから、悲しまないで……水瀬秋子は最後にそう付け足した。
to be continue……
あとがき
自己犠牲は事故犠牲なのではないかと最近思うわけです。
自己を犠牲にする事自体が事故なのです。
いやもう何言ってるのか理解されない事はわかっていますがそう思います。
ロードの核はもしかしたらそんな考えが詰まっているのかもしれません。
それ故に、救いさえ無い世界にこうした人間達が暮らしているのを想うとやるせない気持ちになったりします。
ネガティブキャンペーンにでも入っているんだろうか、俺はorz
―――第二部・第三話−V★用語辞典―――
取りあえず休憩中